2007年02月03日(土)
今日は、節分の日ですね。
豆は食べられないので豆まきはなぁ〜し。
最近、北海道でもはやっている恵方巻もお買い物の予定がないのでなぁ〜し。って言うか、これは食品業界の陰謀でしょうかね。いつの間にか、恵方巻なんて食べるようになったのかしら。北海道で。
ま、そうは言っても、バレンタインやらクリスマスやら、ちゃんと業界の手に乗っているんですけどね・・・(^_-)-☆
休日と言えば、用事がない限りひきこもりの私です。なので、外が寒いかどうかはわかりませんが、昼間は晴れていました。
我が家のリビングは南向き。と言うことで、日中は日の光が入って、暖かい。ここ札幌の冬だと言うのに、暖房をつけなくても20度はキープできます。
リビングには、ソファーがあってそれに横になりながらテレビをボーっと見るのが母の定番。
しかし、日中はかなり日が当たる。室内で日に焼けそうだ。
だからってね・・・ソファーで日傘はないでしょ・・・(-.-)ボソッ
今日の食事
朝:クリニミール(3/4パック)
昼:ホットケーキ(ホットケーキミックス・卵・スキムミルク・メープルシロップ)
夕:軟飯
里芋と鶏肉団子の煮物(里芋・鶏ひき肉・玉ねぎ・卵)
トマト(種・皮なし)
間:普通のエレンタールゼリー(パイナップルフレーバー 4/5パック分)
ヤクルト
ブイ・クレス
えびちび
エレンタールゼリーがきいているぅー。おなかが苦しいです。ゲプ
紅いもかるかん♪クローンなおなかに優しいよ♪ほのかな甘味がやめられない。
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豆は食べられないので豆まきはなぁ〜し。
最近、北海道でもはやっている恵方巻もお買い物の予定がないのでなぁ〜し。って言うか、これは食品業界の陰謀でしょうかね。いつの間にか、恵方巻なんて食べるようになったのかしら。北海道で。
ま、そうは言っても、バレンタインやらクリスマスやら、ちゃんと業界の手に乗っているんですけどね・・・(^_-)-☆
休日と言えば、用事がない限りひきこもりの私です。なので、外が寒いかどうかはわかりませんが、昼間は晴れていました。
我が家のリビングは南向き。と言うことで、日中は日の光が入って、暖かい。ここ札幌の冬だと言うのに、暖房をつけなくても20度はキープできます。
リビングには、ソファーがあってそれに横になりながらテレビをボーっと見るのが母の定番。
しかし、日中はかなり日が当たる。室内で日に焼けそうだ。
だからってね・・・ソファーで日傘はないでしょ・・・(-.-)ボソッ
今日の食事
朝:クリニミール(3/4パック)
昼:ホットケーキ(ホットケーキミックス・卵・スキムミルク・メープルシロップ)
夕:軟飯
里芋と鶏肉団子の煮物(里芋・鶏ひき肉・玉ねぎ・卵)
トマト(種・皮なし)
間:普通のエレンタールゼリー(パイナップルフレーバー 4/5パック分)
ヤクルト
ブイ・クレス
えびちび
エレンタールゼリーがきいているぅー。おなかが苦しいです。ゲプ

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2007年02月03日(土)
やっと、最終章でございます。
沖縄と言えば、きれいな海やおいしい食べ物、沖縄民謡・・・などありますが、やっぱり忘れちゃいけないのは、悲しい戦争の歴史ですよね。
まず沖縄に着いて1番最初に行ったのが、「対馬丸記念館」でした。
私はね、お恥ずかしながら知りませんでした。知らない人たちのために・・・。
日本政府は、来るべき沖縄戦のために、足手まといになる民間人(主に子どもたち)を昭和19年8月に本州に疎開させる計画を立てました。その当時「海」を渡ることは非常に危険なことだったようですが、多くの沖縄の人たちが、その貨物船対馬丸に乗り込んだのです。
しかし、本州にたどり着くことなく、アメリカの潜水艦の魚雷攻撃を受けて、対馬丸は沈んでしまいます。
多くの人たちが、尊い命を落とす中、過酷な海で生き残った人たちのおかげで、この事件が世の中に知られることになりました。ただし、その当時は、助かった人たちには対馬丸撃沈に事実は「士気を下げる」として「緘口令」がしかれたそうです。そのために、この事件での詳細や犠牲者のはっきりした人数も調べられることなくいたそうです。
その当時、小学生だった小さな子ども達が、必死に生き残る壮絶な体験談に身が震えました。ようやく、何かにすがりつき生き残ったとしても、食べ物もない海・太陽の光からさえぎられることもなくやけつく肌。中には、フカに襲われ命を落とす子も・・・。死にゆく人たちを見ながら、生き残った人たち。その人たちの強い生命力に尊敬の念さえいただきます。運がよかっただけではない。と、思いました。そして、生きて戦争が何も生み出さないことを世の中に教えてくれたのだと思いました。
さて、私が沖縄に行ったのは、年末も押し迫る頃。
本当は、「糸数壕(アブチラガマ) 」や「平和祈念館」も行ったのですが、12月29日〜1月3日はお休みでした。
沖縄最終日は、「ひめゆりの塔」です。大学の頃に来た時には、資料館がなかったような気がしますが、今は立派な「ひめゆり平和祈念館」が併設されています。
「ひめゆりの塔」の話は、本や映画で知っていましたが、やはり現地で見るのは違いますね。
映画では美しく仕上げられていますが、ひめゆり学徒隊が戦った戦場は、血と汗と涙と怒号と蛆と餓えと死の場所だったんですね。
その中で、何も分からず送り込まれた少女達が、必死に働き・死んでゆく人たちを見、翻弄される事実に驚き、その中で生きていくことの強さを感じました。
伊原第三外科壕(ひめゆりの洞窟)の実物大を展示物の前で、生存者の方のお話を聞くことができました。淡々と語られる悲惨な戦場と友達の死・・・聞いているうちに、涙が止まらなくなってしまいました。
ここには、たくさんの体験談を綴った証言本も展示されています。周りには、犠牲となった方たちの遺影も展示されています。遺影には、名前とその子の性格なども記されていて、生身の人間がこの悲惨の戦争の犠牲者になったことの悲しみをますます感じさせてくれる空間でした。
悲しみしか生み出さない戦争が、いまだどこかで行われている事実が無性に悔しいです。
そんなことを、再認識させられた沖縄でした。
沖縄と言えば、きれいな海やおいしい食べ物、沖縄民謡・・・などありますが、やっぱり忘れちゃいけないのは、悲しい戦争の歴史ですよね。
まず沖縄に着いて1番最初に行ったのが、「対馬丸記念館」でした。
私はね、お恥ずかしながら知りませんでした。知らない人たちのために・・・。
日本政府は、来るべき沖縄戦のために、足手まといになる民間人(主に子どもたち)を昭和19年8月に本州に疎開させる計画を立てました。その当時「海」を渡ることは非常に危険なことだったようですが、多くの沖縄の人たちが、その貨物船対馬丸に乗り込んだのです。
しかし、本州にたどり着くことなく、アメリカの潜水艦の魚雷攻撃を受けて、対馬丸は沈んでしまいます。
多くの人たちが、尊い命を落とす中、過酷な海で生き残った人たちのおかげで、この事件が世の中に知られることになりました。ただし、その当時は、助かった人たちには対馬丸撃沈に事実は「士気を下げる」として「緘口令」がしかれたそうです。そのために、この事件での詳細や犠牲者のはっきりした人数も調べられることなくいたそうです。
その当時、小学生だった小さな子ども達が、必死に生き残る壮絶な体験談に身が震えました。ようやく、何かにすがりつき生き残ったとしても、食べ物もない海・太陽の光からさえぎられることもなくやけつく肌。中には、フカに襲われ命を落とす子も・・・。死にゆく人たちを見ながら、生き残った人たち。その人たちの強い生命力に尊敬の念さえいただきます。運がよかっただけではない。と、思いました。そして、生きて戦争が何も生み出さないことを世の中に教えてくれたのだと思いました。
さて、私が沖縄に行ったのは、年末も押し迫る頃。
本当は、「糸数壕(アブチラガマ) 」や「平和祈念館」も行ったのですが、12月29日〜1月3日はお休みでした。
沖縄最終日は、「ひめゆりの塔」です。大学の頃に来た時には、資料館がなかったような気がしますが、今は立派な「ひめゆり平和祈念館」が併設されています。
「ひめゆりの塔」の話は、本や映画で知っていましたが、やはり現地で見るのは違いますね。
映画では美しく仕上げられていますが、ひめゆり学徒隊が戦った戦場は、血と汗と涙と怒号と蛆と餓えと死の場所だったんですね。
その中で、何も分からず送り込まれた少女達が、必死に働き・死んでゆく人たちを見、翻弄される事実に驚き、その中で生きていくことの強さを感じました。
伊原第三外科壕(ひめゆりの洞窟)の実物大を展示物の前で、生存者の方のお話を聞くことができました。淡々と語られる悲惨な戦場と友達の死・・・聞いているうちに、涙が止まらなくなってしまいました。
ここには、たくさんの体験談を綴った証言本も展示されています。周りには、犠牲となった方たちの遺影も展示されています。遺影には、名前とその子の性格なども記されていて、生身の人間がこの悲惨の戦争の犠牲者になったことの悲しみをますます感じさせてくれる空間でした。
悲しみしか生み出さない戦争が、いまだどこかで行われている事実が無性に悔しいです。
そんなことを、再認識させられた沖縄でした。











