2008年03月09日(日)
(これは、「私とクローン病」の最終章。自分のための覚書)
入院当時、体重は元気だった頃より5〜6キロ減っていたくらいでしょうか。自分の中では、一番痩せている時期でした。
にもかかわらず、プレドニンの副作用で顔はまんまる。赤ら顔。どこから見ても元気そうです。その当時は、入院患者に付き添いさんがいた時代。付き添いさんたちに、「お姉ちゃん元気そうだねぇ。何の病気?」なんてこと聞かれました。しかも、私が飲んでいるクリニミールが「塩辛」に見えたそうで(タッパーみたいなマグカップに入ってたのでそう見えたらしい)、疑問は更に深まっていたようです。
病名は、主治医から母に。そして、母から私にと伝えられました。
多分、「クローン病」を知っている母が、一番辛かったんだと思います。
どんな風に告げられたかは、もう定かではありませんが、確か聖書かの言葉を引用して話したような気がします。
「あなたは、クローン病という病気です。治らない病気です。でも、死ぬようなことはありません。心配しないで下さい。何でも食べられない体です。神様は、試練を克服できる人に試練を与えます。あなたは、選ばれた子なのです。」
こんな内容だったと思います。考え抜いて語った母の言葉に、開口一番
「肉は、もう食べれないの?」と聞くアホな娘でごめんなさい。治らないことよりも、肉が食べれないことを不安に思っていたことは確かでした。
3ヶ月のプレドニンによる治療が功を奏して、緩解して無事退院。大学に戻ることができました。
その後は、2005年の再燃まで、食事制限もすることなく普通に生活することができました。この間に、お酒も楽しんだし、好きなダンスに汗を流し、海外旅行も3回行くことができました。私には、ご褒美の期間だったような気がします。
再燃した後は、体調も山あり谷ありですが、まじめなクローン病患者(!?)として、ボチボチゆるぅくがんばっていこうかと思います。
ご清聴ありがとうございました<(_ _)>
入院当時、体重は元気だった頃より5〜6キロ減っていたくらいでしょうか。自分の中では、一番痩せている時期でした。
にもかかわらず、プレドニンの副作用で顔はまんまる。赤ら顔。どこから見ても元気そうです。その当時は、入院患者に付き添いさんがいた時代。付き添いさんたちに、「お姉ちゃん元気そうだねぇ。何の病気?」なんてこと聞かれました。しかも、私が飲んでいるクリニミールが「塩辛」に見えたそうで(タッパーみたいなマグカップに入ってたのでそう見えたらしい)、疑問は更に深まっていたようです。
病名は、主治医から母に。そして、母から私にと伝えられました。
多分、「クローン病」を知っている母が、一番辛かったんだと思います。
どんな風に告げられたかは、もう定かではありませんが、確か聖書かの言葉を引用して話したような気がします。
「あなたは、クローン病という病気です。治らない病気です。でも、死ぬようなことはありません。心配しないで下さい。何でも食べられない体です。神様は、試練を克服できる人に試練を与えます。あなたは、選ばれた子なのです。」
こんな内容だったと思います。考え抜いて語った母の言葉に、開口一番
「肉は、もう食べれないの?」と聞くアホな娘でごめんなさい。治らないことよりも、肉が食べれないことを不安に思っていたことは確かでした。
3ヶ月のプレドニンによる治療が功を奏して、緩解して無事退院。大学に戻ることができました。
その後は、2005年の再燃まで、食事制限もすることなく普通に生活することができました。この間に、お酒も楽しんだし、好きなダンスに汗を流し、海外旅行も3回行くことができました。私には、ご褒美の期間だったような気がします。
再燃した後は、体調も山あり谷ありですが、まじめなクローン病患者(!?)として、ボチボチゆるぅくがんばっていこうかと思います。
ご清聴ありがとうございました<(_ _)>
2008年03月09日(日)
(ずっと前(3年も前)に書いていた「私とクローン病」の続編でございます。薄れ行く記憶。自分のための覚書)
帰省後翌日には、即入院勧告と「注腸バリウム」が行われました。
その時点で、ほぼクローンと診断がついていたようです。
入院後は、IVHはせずクリニミールと点滴で栄養補給。サラゾピリンとプレドニンが処方されていたようです。(母の記憶)
毎週のように、検査が行われたのも覚えています。「次はどんな恐ろしく苦しい検査があるのか・・・」と不安な日々を過ごしました。
印象に残っている検査が、「大腸ファイバースコープ」いわゆる大腸カメラですね。この日は、なぜかたくさんの人が検査室または、検査室の外にいました。後からわかったことですが、当時(今もそうですが)珍しいクローン病患者の検査だと言うこと。病院職員の娘の一大事であると言うこと。この2点から、満員御礼の検査だったようです。
苦しかったのは、「小腸造影」。今は、鼻から管を入れますがあの時は、口から管を飲みました。しかも、病室に看護師さんがやってきて、安定剤を1錠飲まされ「えふいーさん、この管喉のところまで飲んでください」とのたまった。あんた、うどんじゃないんだから・・・と思いながら飲む。涙が出る。飲めない。飲み込む。嗚咽があがる・・・。結局涙を流しながら格闘するも自分では入れることができず、その当時の主治医に検査室で入れてもらいました。(結局ここでもゲーゲーやってました)
医療も日進月歩。検査も以前に比べると楽になってきたような気がします。
将来は、かけて見るだけで病巣がわかっちゃう眼鏡ができていることを切に希望します。
帰省後翌日には、即入院勧告と「注腸バリウム」が行われました。
その時点で、ほぼクローンと診断がついていたようです。
入院後は、IVHはせずクリニミールと点滴で栄養補給。サラゾピリンとプレドニンが処方されていたようです。(母の記憶)
毎週のように、検査が行われたのも覚えています。「次はどんな恐ろしく苦しい検査があるのか・・・」と不安な日々を過ごしました。
印象に残っている検査が、「大腸ファイバースコープ」いわゆる大腸カメラですね。この日は、なぜかたくさんの人が検査室または、検査室の外にいました。後からわかったことですが、当時(今もそうですが)珍しいクローン病患者の検査だと言うこと。病院職員の娘の一大事であると言うこと。この2点から、満員御礼の検査だったようです。
苦しかったのは、「小腸造影」。今は、鼻から管を入れますがあの時は、口から管を飲みました。しかも、病室に看護師さんがやってきて、安定剤を1錠飲まされ「えふいーさん、この管喉のところまで飲んでください」とのたまった。あんた、うどんじゃないんだから・・・と思いながら飲む。涙が出る。飲めない。飲み込む。嗚咽があがる・・・。結局涙を流しながら格闘するも自分では入れることができず、その当時の主治医に検査室で入れてもらいました。(結局ここでもゲーゲーやってました)
医療も日進月歩。検査も以前に比べると楽になってきたような気がします。
将来は、かけて見るだけで病巣がわかっちゃう眼鏡ができていることを切に希望します。












